私の知らないネット上のワタシ 中2:響希 長野県伊那市
「私の知らない」というところに、心の中を見透かされてでもいるような、人生を操られているような怖さを覚えた。
2021年3月、私たちは引っ越しをした。横浜から長野県伊那市へだ。引っ越しのきっかけはTwitterの「おすすめ」だった。母から引っ越しのことを聞かされた時、私の話は聞いてくれないのに、なんでAIの話は簡単に受け容れるのだろうと思った。AIもAIだ。AIの提案一つで、「ある人」の人生が変わってしまうかもしれないのに、よくも平然と勝手なことを言ってくれたものだと腹が立った。
母が自然や森について検索していたことも知っていた。自然や森について情報を集めていることにも気が付いていた。でも、まさか、家族にとっての一大事を、こんなやり方で決定するとは思いもしなかった。私の気持ちの治まりはつきそうになかった。それどころか、無自覚だが、怒りも悲しみも胸の内底で固まってしまっていた。
小さいけれど、家族が大事に住んだ、漆喰と木でできた家を売ってしまった。それなのに、私は何も感じなかった。長野に引っ越してきてしばらく経ってから、ようやく、自分が猛然と怒っていることに、悔しがっていることに、はっきり気付いた。
今思えば、夏の終わりの、どよ~んとしている私を見ていた母は、勝負に出たのだと思う。あんなに勉強のことを言っていた母が、WEBエンジニアというこれまでの生き方を一変させて、林業をやりだした。チェーンソーを使って、森の木を切る仕事だ。この頃の母は、松の葉でお茶を作ったり、料理に入れたりして楽しそうにしている。明るくもなった。北海道で生まれ育った母の、原点回帰のようだ。それを見ていて、私は「もう、父や母の願いを生きなくてもいいんだ」と思った。そうしたら、色んなことが笑っちゃうほどバカバカしくなっちゃったし、14年生きて、初めて自分のやりたいことをやろうと思った。まず韓国語だ。夢中でハングルを覚え、韓国ドラマを観た。そして、設計の勉強も始めた。
自分の気持ちが、喧しいほど揺れたあの日から、整然と落ち着くまでの1年半。そこに存在したのは「母の知らないネット上のハハ」ではなく、「人間生活の回復」を強く願った父と母だったのだ。今、私たち家族はまとまりだしている。
「私の知らないネット上のワタシ」は、日経ビジネス2021・12・13号で組まれていた特集名より引用