はやし先生と戦争のことを考えた 小3 だいと
「ロシアと国境が接している国は、いくつあるか」から始めてきて、このごろでは「日本にはシェルターがいくつあるか」とか、ウクライナの人たちが、ロシア兵の名前が書かれているバッジを拾って、保管していることや、それに問い合わせをしてくるロシア兵のお母さんたちが「死んだ息子は悪くない。信じてください。ロシア国民を代表してあやまります」と口をそろえて言っている、という話を調べたりする。
その時も、高校2年生の貴さんが「人類にとって危険な異常状態にあるのに、プーチンを引退させることができない、ロシアの国民の人々の責任はないのか」という、ジャーナリストの佐藤章さんの話を紹介してくれた。ぼくたちは「報じられた情報がすべて真実なのか」(林先生の言葉)ということに気をつけている。林先生と話すことが楽しみだから、宿題をちゃんとやって、自分で考えた学習もやっていく。そうすると、先生が話してくれる。
それで、ぼくはお母さんに戦争のことが書いてある本をさがしてほしいとたのんだ。もう一度、戦争が始まるとイヤだから、本を読んだら少しは何かになるかなと思ったし、前の時は、戦争をどうやって止めたかを知りたいと思った。お母さんが選んでくれた本は「子どもたちに 今こそ 伝える戦争:子どもの本の作家たち19人の真実」だったけれど、ちょっと難しいので、お兄ちゃんと少しずつ読んでいる。
ロシアとウクライナのことを「なぜ、学校で話し合わないのか」を考えて見た 小5おうた
たぶんそれは「学校は正しいことを言わなければならない」と考えているからなのではないかと思う。だから、今、ニュースで報道されていることは違っているかもしれないということを心配していて、学校では話さない方がいいのではないかと、先生方は考えているのかもしれない。それでも僕は、学校の先生たちの考えや心配を、そのまま話してもらって、それから、みんなで考えてみればいいのだと思う。人と話すと、自分の意見を持てるようになるし、自分と違うところも、ちゃんと聞いたり、いっしょに考えたりすることができると思うからだ。一番大事なことは、正しいことだけじゃなくて、考え途中のことでも、自分の考えを言って、間違いがあれば、それを直してゆく学習こそが、勉強なのだと思う。
今、「はやし」には、アメリカのメリーランド州からSkypeでつながっている、高校3年生の奈緒さんがいる。その奈緒さんから聞いた話だと、アメリカの高校では、英語と歴史が一緒になった科目があって、その授業は、毎時間、生徒みんなが同じ本を一冊読んできて、ディスカッションをするのだそうだ。ロシアとウクライナのことについても、もっと知りたい人に向けて、先生が、昼休みに自由参加の形で「みんなで考えよう」という場を作ってくれているそうだ。奈緒さんは「何が正しくて、何が間違っているのかの答えを出すことは、とても難しいし、メディアをうのみにすることは危険だと思う。だからこそ、みんなで考える時間が必要とされる」と話していた。ぼくも、奈緒さんの学校のような「みんなで考えよう」という場に出てみたいと思う。
「あなたと私で向き合う」 高1 さくら
自分の攻撃や破壊への欲望のために戦争をするのではなく、誰かのために戦争を止めることが必要だと思う。相手を思う気持ちが、一番の非戦の知恵になるのだと思う。
この間、林先生から加藤登紀子さんのことを聞いた。ハルピン生まれの加藤さんは、難民となった母親から「国は関係ない。あなたと私で向き合えばわかってくれる」と幼い頃から聞いていたそうだ。そんな加藤さんだからこそ、力ではなく、あなたと私が、言葉と気持ちで伝え合う歌を、語ってくれているのかもしれない。私は「さくらんぼの実る頃」を聞いてみた。沁みてくるような声だった。人の哀しみを秘めているような美しさがあった。怖いくらいの静寂があった。ウクライナの命の声が聞こえてくるように感じた。
「正義の戦争」など存在しないということを、プーチン大統領に何とかして伝えることはできないものだろうか。